Bnei Coffeeとブラジル ジアマンチーナ ヨシマツ

本当に美味しい珈琲に出会えた。
こんなに美味しいコーヒーに出会えたのは久しぶりだ。
いままで何度も美味しいコーヒーとの出会いがあった。
武蔵野珈琲、アンセーニュダングル、大坊珈琲、猿楽珈琲、南方郵便機、珈琲屋うず
どれもこれも私にとってかけがえのない喫茶店であり、こんなに美味しいコーヒーがあるのかと歓喜した。

コーヒーと喫茶店は私の人生を彩り私自身を形作っている。いろいろなコーヒー豆があって、焙煎があって、素敵な喫茶店やコーヒーとの出会いがあった。
そして今日、私は新しいコーヒーと喫茶店に出会えた。なんて幸せなことなんだろう。今まで飲んだことのないコーヒーだった。

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 それが阿佐ヶ谷にあるBnei Coffeeさんが淹れてくれたコーヒーである。
豆はブラジル ジアマンチーナ ヨシマツ。私は生涯このコーヒー豆を忘れないことだろう。それほどまでに衝撃的な、私好みの味だった。素晴らしい焙煎具合である。このコーヒー豆の焙煎はきっと難しいことだろうと想像できる。Bnei Coffeeさんにどれだけ感謝したらいいか分からない。心から感謝を述べたく今私はつたない文章ながら感想を書いている。

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Bnei Coffeeさんが焙煎したブラジル ジアマンチーナ ヨシマツ。このコーヒーの味を一言でいうとするならばそれはチョコレートだ。濃厚で高級で繊細でバランスがとれ完成されたボンボンショコラを食べた時の味がする。
この珈琲を口に含んだ瞬間、ブノアニアンやMinimalや、初めて新宿伊勢丹に出来たジャンポールエヴァンの1個300円以上するボンボンショコラを恐る恐る買って食べた瞬間の、あの驚きというしかない濃厚で重厚で凝縮された苦味と甘味と酸味と香りが広がって染み込んだ。

Bnei Coffeeさんのブラジル ジアマンチーナ ヨシマツは芳ばしさ甘さどれをとっても最高の出来で、私は今までの人生の中で五本の指に入るだろう自分にとって最愛のコーヒーに出会えた幸福にうち震えている。本当に本当に生きていてよかった。喫茶店が好きでよかった。珈琲を好きでいてよかった。Bnei Coffeeさんありがとう。

働いてみて―ビジネスパーソンになって日常を生きる私と

 kentz1君のブログを読んだことを切欠にして私も自分の労働に対するあれこれを振り返ってみようと思った。私は働き始めて5年と数ヶ月が経ったんだな。

 私のような平凡な人間にも色々な人生の出来事があり、もうなんでもいいからお金を手に入れないと選り好みできる余裕はもう私にはないんだ、なんでもいいからブラック企業でもいいと本当に藁をも掴む思いでハロワでまともそうな会社に応募しまくって運良く引っかかり曇り空ながら正社員になったのが、私の労働者としての始まり。

 労働や労働者に対する苦手意識があり、自分は労働は出来ないだろう企業に務めるなんて無理だろうと思っていたが、なってみると意外と働けている自分がいた。
 この意外と働く労働者になれている事実には当初はすごく違和感を覚えた。働いて社会人になっている自分に対してとても違和感があったけど、別人の自分として労働者の自分をみていれば、そこで別の私として分けて考えればどうしようもない違和感を覚えつつも、いつの間にか自他共に認めるビジネスパーソンになっていた。自分が壊れたり分裂することなく。
 Twitterでもビジネスパーソンとして振る舞いだし、人からは典型的な東京の休日を満喫する外資系企業に務める独身貴族っぽいと言われたりするようになった。そういう風に振る舞わないと自分を保てなかったのはあったと思う、いまでも。
 カフェのバリスタバリスタのイメージになろうとしてバリスタらしく振る舞うように、私はビジネスパーソンという自分に違和感を抱きながら、働くために自己イメージを切り離し、あらたな私を産むためビジネスパーソンっぽくなろうとしてビジネスパーソンっぽく見られるためビジネスパーソンのように振る舞っている節がある。
 そういったことに違和感を、サイズの合わない服を着ているときの着心地の悪さを感じつつも、労働という場には居心地の悪さを感じつつも、ビジネスパーソンとして振る舞える自分になっていた。

 私はビジネスパーソンで余暇を人生を楽しんでいるんだよ!って他人として自分に見せつけることはとても大切な儀式だ。
ホラ、お前の人生は間違っていない、今お前は欲しかった生活を手に入れられている。寿司も珈琲豆も茶葉も服もティーカップも思うがままだ。もっともっと年収を上げて欲しかった自分の家も手に入るぞって。

 労働は徹頭徹尾一から十までお金というメディアを手に入れるための手段で、それ以外のなにものでもなくって、お金があれば今の時代の東京だと大体欲しいものことは高いレベルで満足感を得られるくらいは手に入れられる。私はただお金のためだけに働くしそれ以外に労働に何かを求めないし求めたくもない。
 働く意味は生きていくための、チープだけどこのクソッタレで退屈なくせに意外と平坦でもなかった人生を生き抜き幸せを感じるための手段としての金をてにいれることだと割り切れているのだと我ながら思う。生きていくにはお金がいる。お金のない無職は辛い自由がない世間の目が冷たい父は痩せこけ母が泣く。どんなに綺麗事や御高説垂れてもお金がいる。お金がいるんだ。お金じゃなくても土地とか生産手段がいる。生きていくには意味とか目的の前に、どーしたって手段が必要で、それが現代では労働することお金を手に入れることなんだ。労働は手段だし、お金も手段だ。労働にそれ以上の意味はないし、お金も労働も目的じゃない。
 お金を得るための手段としてビジネスパーソンになりきるのは、私としてはそこまで嫌じゃなく納得出来ているのだと思う。(御高説垂れてお金がもらえる人達はいいなーと思う。俺もあれになりたかった)

でも今の私はあんなに大好きだった哲学や社会学の本を読めない。
母に、働き始め東京に暮らし始め海外旅行に行ったり登山したりする私を見て、「お前の本当の人生が始まったんだね」と涙ながらに喜ばれながら言われたのを今でも忘れられない。

喫茶店の話@珈琲屋「うず」と珈琲店「長月」

この2つの喫茶店を紹介できることに私は喜びを感じるとともに、
私などがこの喫茶店を紹介していいものだろうかと萎縮してしまう気持ちもありますが、
しかし心からの喜びと喝采とともに私はあなたへこの2店を自信と歓喜をもって紹介したい。

こういう紹介の仕方はこの二店に対して失礼にあたるかもしれないが
今回紹介する珈琲屋「うず」と珈琲店「長月」は一種の親戚関係にある。
彼らの親、もしくは偉大なる祖父は青山にかつてあった大坊珈琲店である。

手回しロースターによる珈琲豆の自家焙煎
深煎りの豆
その豆の味を引き出すためのぽたぽたと一滴ずつお湯を落としていれるネルドリップ

ひとつの完成されたスタイルを日本の喫茶店に刻んだ喫茶店である。

その大坊珈琲店で珈琲をぽたぽたと入れていた店員さん(古屋さん)が
マスターとして営む喫茶店、それが今回紹介する珈琲屋「うず」です。
私なんかは大坊珈琲の正統な後継店だと勝手に思っています。
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場所は下北沢の奥の方
理髪店のくるくるが目印で店内はおちついたL字カウンターとテーブルが数脚
注文のスタイルは大まかに珈琲とアイスコーヒーとミルクコーヒーがあり、
あとは「好みや気分」を伝えれば
物腰の柔らかいマスター「んーーー」っと悩み珈琲豆缶とにらめっこし
要望に沿った豆やブレンドで珈琲をいれてくれます。
なんて楽しんでしょう!私が無茶ぶりした要望に対してマスターがなんて返してくれるのか
どんな味の珈琲を出してくれるのかといったわくわくとした期待がうまれ
珈琲を飲んだ際の「こう解釈されたのか!」という理解や驚き楽しみができます。
さらに次来たときはまた別のあたらしいブレンドを楽しめるかもしれない
珈琲を一杯いれてもらうだけなんですが
こんな一本の極上の短編小説のような濃密なコミュニケーションをマスターと交わせる。
そんな新しい価値をもー濃厚で最高に美味しい珈琲にくわえて更にー楽しめる喫茶店、それが珈琲屋「うず」です。
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美味しい珈琲が飲みたい、一つの完成された珈琲がのみたい、
今なお引き継がれる日本のひとつの喫茶店スタイルを体験したい
色々と大層なことを述べてしまいましたが
本当に美味しい珈琲がそこにはありますので、是非一度、味わってみてください

珈琲屋うず
coffee-uzu.shopinfo.jp


そして珈琲屋うず開店前に、古屋さんが珈琲をいれられていた
恵比寿Coffee Tramで店員をされていた方があらたに高円寺に喫茶店を開店されました。

それ珈琲店「長月」です。
まだ11月の15日くらいにオープンされたばかりですが、珈琲の味は本物でした。
ブレンドがとても美味しくてTramで古屋さんのもとで修行されたのでしょう、
大坊の血を引く珈琲を味わえるお店がまた一軒増えたことは本当に
珈琲が好きな我々のような人間にとってはかけがえのない喜びです。
こちらへも足を運び若い方がいれる古いスタイルの珈琲に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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珈琲店「長月」
twitter.com

劇場版 のんのんびより ばけーしょんの感想 ― ここではない、どこかにあった夏のお話

これは私の話なんだけど、

ここではない、どこかでみたことがある永遠の夏って思い出は、驚くべきことに私達の中に共有の体験としてあったりする。
それは小説や映画や漫画やアニメやゲームや写真に記憶の中にあったり、日本人以外の中にももちろんあったり、オタクではない私達の中にもあって、きっと多くの色々な人達なのに、なにか共有された永遠の夏の経験・イメージ・記憶がある。
もしかするとそれは、夏休みに田舎に帰ったときの記憶だったり、暮らしていた田舎の記憶だったり、物語の中の記憶だったり、都市生活者達のなかにある共有され美化された思い出なのかもしれない。

それが私の場合だと「ビューティードリーマー」や「同級生」や「となりのトトロ」や「Air」だったり、今日観てきた「のんのんびより」だったりする。
のんのんびより」って作品は、どこかにある日本の田舎で楽しく可愛く元気に日々を過ごす少女達を描いた最高に素晴らしくってにゃんぱすーな作品なんだけど、今回の映画は、そんな普段は田舎に暮らしている「のんのんびより」の登場人物たちが、ひと夏の思い出の、永遠の夏を経験する。彼女達は、私達がよくイメージに抱く永遠の夏がありそうな田舎に暮らしている登場人物たちなんだけど、そんな彼女たちが自分たちの田舎から離れて別のどこかにあった永遠の夏を経験するって点が本当に最高の物語であり、映画を見た人間は否応なく夏休みの思い出を共に体験するだろうし、だから観たほうがいいんじゃないだろうか。
私達にとって、彼女たちの日常はひとつの永遠の夏の舞台なんだけど、そこで暮らす彼女たちが、彼女たちの舞台を離れて、別のここではないどこかで永遠の夏を体験する様が本当に丁寧に描かれていた。

私は、永遠の夏ってのは、ここではないどこか別の場所にある夏ってイメージが強くて、のんのんびより劇場編で描かれていた夏の思い出と似たような経験を山形でしたことがあって、それが本当に自分がした経験なのか、それともあとから作られたイメージだったのか確認しに去年訪れたのだけど、それは作られたイメージじゃなくって本当の私の記憶であって、ここではないどこかでした永遠の夏は本当にあったんだって感動したし、きっと「のんのんびより」で描かれた永遠の夏はきっとどこかであるし、また別の人がそこではないどこかで永遠の夏を経験するんだろうなーって喜びを私に思い出させてくれたいい作品でした。f:id:Sebastianus:20170802103045j:plainf:id:Sebastianus:20170802110056j:plain
もう平成も最後の夏を迎えてしまうので、この機会に「のんのんびより」を見て永遠の夏に思いを馳せてはいかがでしょうか。

「無敵の人」って概念を作り、レッテルを貼り排除を正当化するのには反対です

オタクとは別に無敵の人って概念を作って、僕たちとは違う危なくてリスクのある存在だ!って排除を始め壁を築くの本当によくないと思う。
あたらしいステレオタイプを作りスケープ・ゴートにして火炙りにして排除して壁を作り断絶を生むのは社会に不理解と不安と不和と潜在的なリスクを生み出す。なにより弱い一般市民の間にまでいらない階級・階層を作って下の者を作って差別して攻撃・廃絶するのは危険である。あまりに健全ではない。ここは昔のルワンダじゃないし、対立と怨嗟を生み出す新しいフツ族ツチ族を創作するのには反対だ。便利な「無敵の人」って概念を作って嬉々として排除するのは危険だ。
やっかいな人がいるとして、その人に誠実に対応しろというわけではない。そういった人たちに関わるのはリスクがあるし時間の無駄になるし、せっかくのオフタイムにわざわざストレスを溜めることもないと思う。

ただ、今回のインターネットの人の殺人を起こしたような人たちを無敵の人≒金がなくモテなく仕事も泣く失うものがない人の起こした事件だとし、そういった人たちに関わるな、壁を作り排除しようというのは、私は間違っている選択だと思うし、危険な発想であり危なく便利な概念の発明だと思う。
(どうやら「無敵の人」って概念をつくったのは2ch創設者のひろゆきらしい。)

しかしその一方で事実として街なかで騒いだり酔っ払ったり妙に絡んでくるオジサンやオバサンや若者には関わらないほうがいいというのはある。私も電車内で人に絡んでいる方に注意したら大変な目にあったことがあるので、それは残念ながら日常を送る上では納得できる判断だと思う。正義感や好奇心は猫も人も殺す。

それと同じように、危ないオジサンやオバサンには(若者にも)インターネットの中でも関わらない方がいいという意見には賛同できてしまう自分がいる。そしてまたそれは実生活を営む上では、至極まっとうな個人が心穏やかに幸せに過ごすための処理だと思う。

感情の赴くままに書いて支離滅裂であるが、私は「リスクや危険を避ける」こと自体には反対ではないし、またそういった判断をすること自体にも反対はしない。
しかし「無敵の人」という便利な概念を創作して、それを使ってレッテルを貼り差別排除することの正当性を作って、そういった人たちを嘲笑い無視し排除し理解を拒み断絶を作り出すことに私は反対だ。
排除し無視して理解を拒むことは社会により危険は溝を生み出し、より一層のリスクと不和をもたらすことになる。そしてその行き着く先は歴史を見れば明らかで-ジェノサイドやテロの温床だ。

だから私は以下のようなブログの文章には断固として反対したいという表明を自分自身に残しておきたく書いてしまった。
インターネットの「無敵の人」から身を守る方法 - 俺の遺言を聴いてほしい

怒っていたり騒いだりしている人を助けろとか注意しろとかケアしろとは言わない、でも差別的な概念でもって嬉々として排除をすることだけには加担しないで欲しい。オタクやインターネットの人としていわれなき差別や嘲笑を受けた者として、そういう人達を無駄に生み出すのだけはやめて欲しい。弱い者たちが更に弱い者たちを叩くのは止めようよ。

武蔵野珈琲店@吉祥寺

喫茶店が大好きで、もっと素直に喫茶店について語りたい

喫茶店はデートしたりお出かけしたりした中で立ち寄ったり休んだりするための場所であって、喫茶店が目的になることはあまりない、そういう人のが多いだろうし、喫茶店の使われ方としてそれはとても健全であると思う。もっとそういうふうに喫茶店をいっぱいいっぱい使って喫茶店にお金を落として欲しい。
でも喫茶店に行くことが目的で、その喫茶店に行くためにその駅にわざわざ訪れるという人もいる。私の日々の中では、喫茶店に訪れることが目的である場合が多い。喫茶店のために電車にのって歩いて町に行って、そのついでにその町を散策したり買い物したり。
そんな私が初めて喫茶店に行くことが目的で行った喫茶店が吉祥寺にある武蔵野珈琲店だ。もう10年以上前になる。
浪人生の頃に珈琲を飲み始めて都内の大学にようやく合格し珈琲というものへの関心が高まっていた頃、インターネットのどこかで「この都内の喫茶店がおいしい」みたいなスレかなんかがあって、そこに大坊や南方郵便機(調布)やアンセーニュダングルに武蔵野珈琲店の名前があがっていた。その頃はまだ豆なんてスーパーで売ってるKEY COFFEEとかUCCのを飲んでいてコダワリとか全くなかったのだけど、行ったことのない吉祥寺駅という場所と馬場まで定期もあるし、美味しいという喫茶店に行ってみるかと思い立ってんだ*1
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お店について通されたのは昼間で空いていたのもあって窓際のサンルームみたたいな座席、そこで何を注文したらいいか分からないしお金もないのでブレンドを注文した。
当時は本当にドキドキと緊張していたんだと思う。はじめての町だし行ったことのないお店に一人だし、地図もプリントしてきたものだけだしね。どんな服を着ていったのかも覚えてないけど、こんな酸味のない甘く濃厚な珈琲があるんだって本当に驚いたのは覚えている。
そう武蔵野珈琲店の珈琲はアンセーニュダングルと同じタイプで、珈琲の味はオールドビーンズの深煎り豆を使ったネルドリップのそれなんだ*2
何度も言うけど本当に美味しくって、こんな美味しい珈琲があるんだって、勉強中の頭痛を緩和するためじゃなくって、こんな味わい深くて濃厚でいい香りで美味しい飲み物が珈琲なんだって、私に初めて教えてくれたのは武蔵野珈琲店の珈琲だと思う。私にとって珈琲の初体験と呼べるものはもしかしたらここだったのかもしれないし珈琲の味に夢中になって恋して今でも珈琲を愛して喫茶店が大好きなのも、その始まりはここだったのかもしれない。ちょっと大袈裟にいってるところあるけど。
それから、この出会いから、私は色々と美味しい珈琲を求めて喫茶店や色々な豆を試すようになったのは間違いなくって大坊とかアンセーニュダングルとかランブルとかバッハとか行くようになった。*3
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いつもの癖でちょっと大仰に書いてしまっているけど、武蔵野珈琲店は二階にあって大きな西向きの窓から西日が差し込んで奥の部屋の暗さと窓際の明るさのグラデーションが絵に描いたような店内も素敵です。

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オススメのメニューはウィナーコーヒーやコーヒーゼリーで、ここの生クリームを初めて食べた時はこんな生クリーム食べたことない!って当時付き合っていた恋人が跳ね上がったのを思い出します。そんな私にとって色々な思い出の詰まった喫茶店がここ武蔵野珈琲店なのです。吉祥寺に用事があった際は、是非とも足を運んでここの珈琲を雰囲気を楽しんで下さい。

*1:当時横浜に住んでいた私にとって吉祥寺は本当に遠い町だったし、特に用事もない町であった。住みたい町No.1とかに選ばれていたけど横浜より優れているとも思えなかったしね

*2:まー武蔵野珈琲店のマスターはアンセーニュダングルで以前店長をしていたらしいので、メニューや味が似ているのは当然である。

*3:そう、最初の頃の私は喫茶店の雰囲気とかじゃなくって、他のものはどーでもよくって美味しい、珈琲こそ至高!って思想で何よりも珈琲の味を追い求めていたな。雰囲気とかのんびりできるといった喫茶店の価値には目もくれず一流のマスターがいれる最高の珈琲を求めているのが学生時代の私でした。

喫茶店の話@アンセーニュ・ダングル

喫茶店のよさを何にたとえて伝えようか。
何かにたとえる必要などなく、ここには喫茶店の素晴らしさが全てつまっている。

日本の数ある喫茶店の中でも指折りの喫茶店
私が日本で一番愛着のある喫茶店がここ、アンセーニュ・ダングルだ。
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君が喫茶店に求めるものはなんだろう。想像してみて欲しい。
恐らくそれは、ここにある。
君が望むもの全てじゃなくても、君が臨んだ喫茶店はここにある。
少なくとも私はそうだし、君にとってもそうであると思う。

語ることを放棄するのは簡単だから放棄するので
何よりもまずアンセーニュ・ダングルにいって一時を過ごして欲しい。
コーヒを飲むのでもいい、勉強するのでもいい、友人や恋人と語らい合うのでもいい
そうすればきっときっと、このお店の素晴らしさや喫茶店の魅力それ自体に気づいてもらえるだろう。
このお店に来てよかったと

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私がこの喫茶店を知ったのはもう10年以上前になるけれど、
その頃からこのお店は完成されていたし、10年経った今でも変わらずあり続けてくれる。
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珈琲の味は重く苦い、マスターが一杯ずつ丁寧にドリップしてくれるので、できればマンデリンとかを注文してみて欲しい。
豆はオールドビーンズを使っておりフレンチローストのネルドリップなので
ここの珈琲の味が合わない人もいるだろう。
でも、大丈夫
アンセーニュ・ダングルには最高のウインナーコーヒーやカフェ・クレームがあって、
このお店の生クリームは本当に最高だから(アイスなら琥珀の女王が最高!!)
お腹に余裕があったら是非ともクロックムッシュも試して欲しい、これがまたたまらなく美味しいのだ。
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この記事を書き終わって私が君にアンセーニュ・ダングルを紹介できること、それ自体が歓びだと気付いた。