インターネットでのアイデンティティをまごつかせて

第二の思春期を終えたオジサンが自分の好きな珈琲や読んだ本に食べたものについて思い出として書き残そうと思います

なにかを作り生み出すことって、やっぱり楽しい

3月24日放送した安住紳一郎の日曜天国にて、三ツ矢サイダープレゼント企画として「み・つ・や」の三文字を用いたあいうえお作文を募集したところ、リスナーから名作が沢山あつまったことを受けて安住紳一郎氏が「基本的に人間ってのは承認欲求というのか、創作意欲でいいものを出して他人にすごいと言われるのは気持ちのいいもんですよね」みたいなことを言われていた。
私生活でも労働においても、大なり小なり自分が作ったものを評価される/評価されないというのは感情や自尊心を揺り動かすものだと私も思います。んーー他人から評価される/されないという点に対しては色々とあるでしょけど、少なくとも何かを作り生み出すというのは私にって楽しいことです。

そうそう、そういう点でいうと最近の私はブログも書かず、SNSでつぶやかなくなって何をしているかというとワイフとPodcastを録って遊んでいます。ワイフとは毎日色々と喋っていていつもよく飽きないなと思うのだけど、それに加えてなにか毎回お題を互いに作って、それについてラジオ風に会話するのが楽しくて3か月も続いてます。なにが楽しいのかというと、やっぱり二人でなにかを作っているという実感なのかなと思いますし、ワイフは独特の言語センスというか面白さをもった人間で、そのセンスというか面白さが滲み出てきて、もしかしたらその面白さが私以外の誰かに面白い!って届くといいなという願いをちょっとだけ込めて―ほんとうか!?―Podcastを録っています。
二人で出来る遊びということでこれからも、都内在住のなんでもない夫婦がなにも着飾らずに生活の中のちょっと気づいたことや最近気になっていることを喋るという形でこれからも配信していきたいと思います。
きいてね!!

ユニコーンオーバーロードが出てSwitch欲しいなと思いつつ、ワイフがいるのに一人でゲームするのも気が引けるなと思いつつゲームへの集中力が続かない熱中できない老いを感じています。んーー欲しいけどいらないかなどうなんだろう。

Twitterをやめて1年が経った

14年近くTwitterに張り付いていた人間が、Twitterをやめたらどうなるのか。
興味がある人がいるのか分からないが、タイトルの通りTwitterをやめて1年程度経過したので、私の実体験に即して書き留めてみた。

Twitterの話題についていけなくなった

Twitterという空間にいなくなるので、Twitterで騒がれている話題や価値観がどうでもよくなったといえば当然なのだけど、本当に彼らが何を言いたいのか、なんでそんなに自分の人生に関わらないことに執着して感情をむき出しにするのかますます分からなくなった。これが私にとっていいのか悪いのか判断は控えるけど、心底どーでもよくなった。というか、本当に話題がわからなくなった。Twitterからコンテンツに誘導されることもないし、話題に関心を振り回されることもなくなった。逆にBlurskyなどにXの話題を持ち込まれると嫌悪感がする。ここはXとは違う空間なので、持ち込まないでほしい。

Twitterをやめられた優越感に浸れる

もうXになってしまい、まだ残っている人は今更やめてもTwitterを卒業できないんだよね!と優越感に浸れるのは素直に嬉しい。人は他人と違う点に優越感を感じることがあるー少なくとも私はそういう人間だ。だから思い切って、ここがタイミングだ!と跳んでしまってよかった。
本当に、まだ東京で疲弊しているの?って言った人は心底気持ちよかったんだろうなーー気持ち悪い

Twitterという世界から逃れられた

Twitterにいる自分を醜く許せなくなってTwitterを辞めたのだけど、そのおかげでTwitter内の価値感・言論空間から自由になれたのは気持ちがいい、清々している。この簡単に捨てられて逃げだせたという成功体験は本当に気持ちよかった。
実際の社会だと、自分が置かれている価値や言論の世界から抜け出すことはとても難しいけれど、Twitterを絶対に見ないいようにすると、そこの価値観から完全に開放されたという事実はとても気持ちのいいものだった。
そして、そこから離れて自分を見つめなおして、オジサンながら新しいことにチャレンジしたり、新しい趣味や生活を始めることができた。
これは即ちTwitterをやめたから、新しいことにチャレンジしたわけではないのかもしれない。けれど、あそこから離れて生活とワイフと自分との関係性を再構築する一つの切欠にはなったのかなと思っている。
ニワトリかタマゴかだけれど、私の人生の節目・転換点が23年には訪れていたみたいで、いいタイミングで辞めることができたなとはつくづく実感している。なにごとにも波というのはあると言われるけれど、イーロン・マスクに買収される前後くらいからTwitterに絶望的な居心地の悪さを感じていたのもあり、もう辞め時だよなという波に乗ってしまえたのは、私にとって正しい判断だった。
twitterにおける、私にとってどうでもいい議論に苛まれ、私は自律できなくなってしまった。そんなのは我慢ができないので、Twitterにおける善や正義に惑わされないよう逃げ出して正解だったと今は思う。

こんなことを書いていて、Twitterで初めて居心地の悪さを感じたのは「ヒウィッヒヒー」というよく分からない言葉が流行ったときだったと思い出した。はじめてTwitterの中に群衆というか大きな流れを感じてしまった。集団からの同調要請・同調圧力というと過敏な反応かもしれないけど、あの時はじめてTwitterで自分の外にある集団の流れを感じて、それに乗っている奴らも含めて気持ち悪いとおもった。その居心地の悪さが、もう我慢できないレベルに達したというのはある。居心地の悪さと今まで築いた関係を天秤にかけてつり合いが取れなくなった。
私がTwitterを始めたころの、個人個人が別々のバラバラで自分の趣味や意見を好き勝手にポストしている流れが好きだった。好き勝手いって、勝手に反応があったりなかったり、そんなつかず離れずの空間が居心地がよかったのだけど、その空間をTwitterで維持するのが難しくなったというのが、私的には、なにかカッコつけた理由としては、しっくりくる。
個人の良心・個人の価値観・個人の感性を私は、とても大切にしたい、それを個人間で戦わせるのを大切にしたいのだけど、それがなにか得体のしれない集団のセンスも知性も理性の欠片もないゴミのような集団VS集団の同調要請が無視するのも難しくなったというのがある。逆に今はマストドンではフォロワーが好き勝手に好きなことをつぶやいていて、私も特に気にせず流し見してたまに面白がる空間があって、居心地の良さを感じている。

インターネット人間関係はそんなに変わらなかった

これはそうで、完全に関係が切れてしまった方もいるけど、意外とインターネット上で仲良くしている人とは、また別のどこかインターネット上で互いに存在を確認したり、飯を食べたりしている。これは意外だった、驚きだ。Twitterを辞める前は、このTwitterで作られた関係があるからこそ、それがしがらみとなってTwitterから抜け出せないでいたけれど、やめてみても関係は続いているし、ありがたいことに別のインターネット選択肢があるから。Twitterの代替なんていくらでもあるから、君もやめても大丈夫だよって気軽にいえるようになった。

新しい趣味や配信先が増えた

恥ずかしながらBlogにも載せているけど、最近ワイフとPodcastを録るようになった。それ以外でもTwitterに居たころよりブログで投稿するようになって、果ては文フリでコピ本を刷るまでになった。本当に驚いている。おそらくTwitterで毎日呟いていたら、これは出来なかったかもしれない。Twitterをしていたら、こんな可能性は拓かなかっただろう。
私は間違いなく自分のことを外に出したい性分のようで、さらに職場の人間とは労働関係以上の関係は結びたくない。なので、自分のことをさらけ出す場所としてTwitterは本当に気軽に雑にウンコできる場所だったけれど、そのトイレが使えなくなったので、別の場所と方法を使うようになったのは、私にとっては心から楽しいことだ。
なによりも自分自身にとって何が大切なことで何が価値あることなのかについて、重要な問題は何かについて、以前より意識的に考える時間が増えた。かけがえのない自分との時間をより増えた気がする。

さいごに

Twitterという場所から供給される不特定多数の人間からの承認や評価に価値を感じなくなるほど枯れたオジサンになったのも、Twitterを抜け出せた要因かもしれない。得体のしれない1,000人に対してつぶやくよりも、もしかしたら届くかもしれない5人10人に対して発信したほうが楽しいかもしれない、少なくとも今の私にはそちらの方が価値あるものだと思えるようになった。
だから、私自身のためにBlogは書き続けるかもだし、ワイフとPodcastを楽しくやっていけたらなと思っている。そして珈琲はこれからも焙煎し続けたい。
Twitterは、これがなければ出会っていなかっただろう人との繋がりを作ってくれた大切な思い出の場所だった。本当に当時はかけがえのない居場所だった。でも、いつまでも人は同じ場所にはいられない、私もみんなも変わってしまうから、すべては思い出になる。Twitterも思い出になる時が来たんだ。ありがとうTwitter、バイバイ。
sebastianus.hatenablog.com

初恋の人について

Podcastで初恋の人についてワイフと喋っています

そろそろTwitterをやめて1年経つので、生活がどう変わったのかについてブログで書こうと思ったのですが
あんまりTwitterにもう触れたくないなと思いながらも、振り返りと総括はやらないよりやった方がいいので余裕があったらココで書こうかと思います。

そうそう、初恋の人について、彼の初恋はいつだったろうかと思い出してみる。彼はまだ幼かった、たぶん3歳くらい、機動戦士ガンダムZZというアニメがあって、それに出てくるプルツーが強気で健気で心はジュドーと通じ合っていたのに二人は幸せになれなくて、なんでなんだ!戦争はダメだと子供ながらにそんなことを思ったことを覚えている。その思い出と影響は、恐らく今も引きずっている。強気で勝ち気で健気な頑張る女の子をみると、どうしようもなく応援したくなる。
思い返してみると現実の女性を好きになる前に、彼は二次元の画面の中の女の子に恋していた。だからなのか、今だに画面の中の三次元の女性を好きになれない。まだ男女の区別もよく分かってない頃だったのに、三つ子の魂百までとは本当によくいったもんだ。
さて、男とか女って最初に分かり始めたのはいつだったろうか。思い出せるだろうか。幼稚園生くらいには、自動的に男と女に分かれていた気がするけど、はっきりと男女の違いを意識させられたのは小学4年生の頃、女の子二人とベッドの上で遊んでいたらお母さんに怒られた。
その時は三人してエッチなことをしてるって勘違いされたと大笑いされたけど、それ以来三人でベッドの上で遊ぶことはなくなった。その内の一人を彼は好きになったけど、その子は別の男の子が好きで、そして中学2年生になって彼氏と駅弁ファックしている話を彼に話しつつ黄色のブラジャーを自慢げに胸チラして見せつけてきて、彼の青いセックスしたくて仕方がない情緒をメチャクチャにした。今でのその映像は鮮明に思い出せる。彼氏と当時の新山下辺りに暮らしているといっていたけど、どうなったろうか。いまはもう、特に感慨にふけることもなく、こういう話題の際には思い出されるだけだ。

正月休み十二日目の日記ー冬目景のマンガを久しぶりに読んだ

出来るビジネスパーソンなので連休が終わるのを恐れる前に会社PCを立ち上げメールを軽く処理し仕事の勉強でありつつ個人の勉強をしていました。
いきなり冷たい水に飛び込むと死んでしまう恐れもありますし、心と身体をあらかじめ馴らし準備しておくのは、この過酷なグローバル競争社会を生き抜く上で死なないための基本ですよね。

変わったことといえば、15年ぶりくらいに冬目景のマンガを買って読みました。なんで、お前好きそうじゃんアフタヌーン系のコミックスってそうなんですけど、冬目景の『イエスタデイを歌って』のハルちゃんっているじゃないですか、あの黒髪で目が猫みたいに大きい娘、あのマンガを読んでハルちゃんをみたときに、「これはやばい、このタッチの作画で、こんな可愛くて健気で自分もあり主人公に好意を寄せる女の子なんて危険だ。女性に対する自分の感覚が狂ってしまう」と危機感を抱いてから触れないようにしました。いやあまりに一部の男性に魅力的すぎる二次元の美少女というのは危険です。その人の人生を狂わせますので、そんな人は一人いれば十分です。私の中には惣流・アスカ・ラングレーが在ったので危うく難を逃れました。で、読んでみたのは下北沢っぽいところで女の子がロックバンドをする、もう設定だけで大勝利なんですけど、ぼざろとはまた違った味わいで美味しそうです。まだ1巻しか読んでないのですが、ちゃんと異性が出てくるので、それだけで妙に不安になってしまうのは最近主流のマンガ・アニメに慣れすぎてしまったようです。

そうそう、今日は友人との新年会で羊を食べました。いやー羊って本当に美味しいですね。
あとは、そうだ神田伯山のラジオの藤原竜也の回を聞いたんですが、そこで伯山が藤原竜也のラジオについて、「藤原竜也のラジオによくわからないオジサンがいつも出てきて、そいつのよくわからない話きかされて、お前だれなんだよ!ってなる」と言ってくれていて、まじ分かる!!!って伯山のことがもっと好きになりました


それでは、また次の休日に会いましょう

正月休み十一日目の日記ーワイフと再びPodcastを収録しました。

十一日目って漢字で書くと間違えていないのに変な感じですね。不思議です。

今日はお正月休みも満喫したので自宅で勉強をしていました。仕事でAIに関するソリューションを扱うことになったのでDeep Learningニューラルネットワークの基礎の基礎について勉強しました。まさかこの歳になって微分や行列について勉強しなおすとは。。。頭がパンパンになっています。

さて、今日は1月7日なので七草粥を作りました。それだけだと足らないので切り干し大根の煮物と豚のカシラの味噌炒めも作りました。
あとは日曜日なので珈琲豆を焙煎しつつラジオをつければ安住紳一郎の日曜天国が流れて来ましたが、驚くほど結婚に関しては触れませんでしたね。別居婚なんですよって軽く触れるだけだったのだけど、どうして自分に対する妙な何かを持っている人は別居婚にしたがるんでしょうか。不思議です。
それと比べるものではないんだけど、七草粥の材料を買いに行きつつ聞いたオズワルドのラジオでは蛭子能収に顔が似ているほうの熱愛報道に関して1時間喋りっぱなしでした。ここで初めて井上咲良さんという方を知りました。Wikipediaで井上咲良さんについて調べると蛭子能収が好きという記述があり、あーとなりました。どうしてモテそうな人が垢抜けない方と結婚したり付き合ったりすると好感度があがるっていわれるんでしょうかね。不思議です。

もうすぐ休みが終わってしまう。あーーと思いながらまたワイフとPodcastを収録しました。ワイフが本当にたのしそうなので幸せです。
照れくさく自分って活舌悪いなーと恥ずかしくなるけど、シェアしておきます。

ではまた明日。

正月休み十日目の日記

さて、お酒を飲んで日記を書いたので前日の日記の誤字がひどいひど、お酒を飲んだといってもシードルをコップ一杯飲んだだけなのですけれども、もー眠くて眠くて11時前には寝ちゃいました。本当にお酒弱いわ。
なので今日の朝は早起きして朝風呂を浴びてホテルをチャックアウト。昨日は果たせなかった湯もみショーに行きました。入れたよ!ちょいな♪ちょーいな♪節が頭から離れなくなり夫婦で歌っています。そして今回の草津旅行のメインディッシュである熱帯園でカピバラさんを見る!を達成、いやーカピバラさん可愛いね。ワイフもエサやり大歓喜していました私もほっこり。想像していたより爬虫類とかケモノがいた。
お土産にお饅頭を数店で買ったんですが、松むら饅頭の温泉まんじゅうが一番美味しかったです。ここはちゃんと美味しい和菓子屋さんを観光地でやっています。
印象的だったのが、長寿店の饅頭配っているおじいちゃん。今時Runbirdのベンチコート(ぼろい)を着て疲れ果ててヘロヘロいなってたのでお茶までもらったお礼として饅頭買いました。

うどんにお蕎麦も人で賑わって並んでいて結局現地では食べず、帰宅してから晩御飯に蕎麦たべました。

帰りの電車で東京ホテイソンとキュウのラジオを聞いたのですが、キュウはネタも好きなのですがラジオも好きな感じでした。ぴろがヤバい奴なんだと認識がマッチしました。

坐骨神経痛ロキソニンテープ貼って温泉で温めてストレッチしたら大分マシになりました。
今年の目標に毎日5分ストレッチをするが加わりました。

それではまた明日ちょいな♪ちょーいな♪

正月休み九日目の日記

朝起きて着替えていたら突然、尾骨が痛くなった。
なんてこった今日はワイフと草津温泉旅行なのに坐骨神経痛になってしまった。いたい、歩くたびに尾骨が響き立ち上がる際に痛みが出る。嘘だろ?これから3時間移動でワイフの荷物も私が持たなきゃいけないのにと嫌な汗が出た。
お正月だからってダラダラ変な姿勢で過ごしすぎたんだろうか、腰がバキバキに硬い盛り上がっている。ギシギシしてる。自分とワイフをだましたましなんとか草津に着いたけど歩くのが結構きついのは大変だわ。
風呂に入っても痛いが、だいぶ和らいだので夜にもう一度お風呂に入ってほぐそうと思う。

草津温泉に来たのは初めてだけど観光地として思ったよりガッツリ観光地したいるし老若男女人が沢山いる。沢山いてお昼ご飯には並べないと入れないほどだったので温泉まんじゅうを食べ散らかした。
あと、若い東京とは違う大部のイキった若者が意外といる。え?若者が男の子集団で温泉地くるの?草津って若い子も来る遊び場なの?ってちょっと不思議になった。
湯もみ実演?は大行列で入れそうになかったので諦めた。