「無敵の人」って概念を作り、レッテルを貼り排除を正当化するのには反対です

オタクとは別に無敵の人って概念を作って、僕たちとは違う危なくてリスクのある存在だ!って排除を始め壁を築くの本当によくないと思う。
あたらしいステレオタイプを作りスケープ・ゴートにして火炙りにして排除して壁を作り断絶を生むのは社会に不理解と不安と不和と潜在的なリスクを生み出す。なにより弱い一般市民の間にまでいらない階級・階層を作って下の者を作って差別して攻撃・廃絶するのは危険である。あまりに健全ではない。ここは昔のルワンダじゃないし、対立と怨嗟を生み出す新しいフツ族ツチ族を創作するのには反対だ。便利な「無敵の人」って概念を作って嬉々として排除するのは危険だ。
やっかいな人がいるとして、その人に誠実に対応しろというわけではない。そういった人たちに関わるのはリスクがあるし時間の無駄になるし、せっかくのオフタイムにわざわざストレスを溜めることもないと思う。

ただ、今回のインターネットの人の殺人を起こしたような人たちを無敵の人≒金がなくモテなく仕事も泣く失うものがない人の起こした事件だとし、そういった人たちに関わるな、壁を作り排除しようというのは、私は間違っている選択だと思うし、危険な発想であり危なく便利な概念の発明だと思う。
(どうやら「無敵の人」って概念をつくったのは2ch創設者のひろゆきらしい。)

しかしその一方で事実として街なかで騒いだり酔っ払ったり妙に絡んでくるオジサンやオバサンや若者には関わらないほうがいいというのはある。私も電車内で人に絡んでいる方に注意したら大変な目にあったことがあるので、それは残念ながら日常を送る上では納得できる判断だと思う。正義感や好奇心は猫も人も殺す。

それと同じように、危ないオジサンやオバサンには(若者にも)インターネットの中でも関わらない方がいいという意見には賛同できてしまう自分がいる。そしてまたそれは実生活を営む上では、至極まっとうな個人が心穏やかに幸せに過ごすための処理だと思う。

感情の赴くままに書いて支離滅裂であるが、私は「リスクや危険を避ける」こと自体には反対ではないし、またそういった判断をすること自体にも反対はしない。
しかし「無敵の人」という便利な概念を創作して、それを使ってレッテルを貼り差別排除することの正当性を作って、そういった人たちを嘲笑い無視し排除し理解を拒み断絶を作り出すことに私は反対だ。
排除し無視して理解を拒むことは社会により危険は溝を生み出し、より一層のリスクと不和をもたらすことになる。そしてその行き着く先は歴史を見れば明らかで-ジェノサイドやテロの温床だ。

だから私は以下のようなブログの文章には断固として反対したいという表明を自分自身に残しておきたく書いてしまった。
インターネットの「無敵の人」から身を守る方法 - 俺の遺言を聴いてほしい

怒っていたり騒いだりしている人を助けろとか注意しろとかケアしろとは言わない、でも差別的な概念でもって嬉々として排除をすることだけには加担しないで欲しい。オタクやインターネットの人としていわれなき差別や嘲笑を受けた者として、そういう人達を無駄に生み出すのだけはやめて欲しい。弱い者たちが更に弱い者たちを叩くのは止めようよ。