自分なりに、なんでこんなに胸が締め付けられたのか思い出してみました。
すずちゃんは作品の主人公になるだけあって、とても魅力的な人間です*1。この人は私のような人間からした特に主体性もなくただ流されるように生きて、そうした日々のなかで幸せを拾い取って生きています。「この世界の片隅に、うちを見つけくれてありがとう」という言葉には、そんなすずの一面が端的に表されている気がします。
この、北條すずという人は特段強くもありません、超然とも逞しくも神々しくもありません。つよい女性ヒロインではないんじゃないでしょうか。少なくとも尊いような存在でもなければヒーロや憧れのヒロインでもありません。
そもそも、この作品にはほとんど強く逞しく人が出てきません。でも、弱い人達の話かというと、そういうわけではありません。それはちょっと違う。
じゃあやっぱり日常を描いた作品なんだ!それはそうかもしれませんが、それは私の言葉ではありません足りません。
脱線してしまいましたので話を戻そうと思います。
すずちゃんは日常を受け止めきれていない感じがします。そんな中で、あんな大変な中で流され、その内に色々なものを抱えて、大切なもの失い、そんなすずちゃんがそれでも日々をなんとか生きているところに、私は胸がいっぱいになるのです。その日常を、あんなにも美しく繊細に時にコミカルに描いている映画だからこそ、私の胸は張り裂かれたのです。涙が流れないではいられなかった。もう感情が爆発してしまいました。
彼女は何度も実家に帰りたがります。新しい土地にどぎまぎし、生活になれるため決して上手ではないですがなんとかやっています。彼女は決してそんなに強くありません。いっぱい弱さがさらけ出されグチャグチャになっていたではないですか。
それでも明日は来る。酸いも甘いもあれよあれよと流れて20年8月15日の次の日には20年8月16日が来ました。
淡々と、その大切さと厳しさと、どうしようもなさを、美しくこれでもかというくらいに日常描写を素晴らしく描いた作品だったんじゃないか。私はそう思い返しています。
国破れて山河ありではありませんが、そういうことを、実に一人の北條すずという人間に絞って描いてみせた作品だったと思います。だからこそ、この作品はすごい。
すずちゃんは、そんな中で温もりや幸せを見つけ、自分のいる人生を決められたのは素直によかったなあと思います。
本当にいい、素晴らしい作品でした。ありがとうございます。