ZINEフェス横浜2026に出店します!
仕事と人生に追われる日々の中、私は半年間だけ「本牧」という横浜でも特異な街に身を置いていました。
そこで綴ったのは、キラキラした横浜ではない、生活の匂いと街の衰退に対する侘しさが混ざった記憶。それを一冊のZINEにしました。
タイトルは『本牧異国日記』です。
今回は告知も兼ねて、ZINEに掲載した一部コラムを掲載します。
コラムの内容は「どこからどこまでが山手なの?」という素朴な、だけど触れてはならない問題です。
私は本牧に住みながら、隣接する山手の眩しさと曖昧さに、どうしようもない違和感と「許せなさ」を抱き続けてきました。
本牧から見上げる異国情緒のする山手の高台。どこまでが山手で、どこからが本牧なのか。
実際に街を歩き、地図を睨み、導き出した私の個人的な見解をコラムとして書き殴りました。
横浜に暮らす市民なら一度は疑問に思ったであろうタブーについて、一石を投じることができれば幸いです。
仕事に疲れ果てたおじさんが、本牧の夜風の中で考えた横浜のリアル。当日、会場で語り合いましょう。本牧の風を感じに来てください。
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本牧と根岸と山手の境ってどこなの?ー不動産ポエムによる侵食への抵抗ー本牧根岸の丘を歩いて考えた
横浜―特に本牧周辺に暮らしてみると
え?ここって山手なの?本牧か根岸じゃないの!???
と思うことがよくある。
私は以前、江東区の清澄白河近くに暮らしていたのだけど、そこでも「いや、ここは小名木川の北側だから清澄白河じゃないでしょ!菊川だろ!」と思うことが多々あった。ちょうど、トム・ブラウンのポッドキャスト「ニッポン放送圧縮計画」における、中野か中野じゃないかというコーナーから言葉を借りれば、実際には違うのに自分を大きく見せる虚言ヤロウ―プライドや格好つけのため、見栄を張って身の丈に合わない虚勢を張ってしまうダサい現象は心当たりの1つや2つあるだろう。
ここ横浜でも、特に山手という一大地域ブランドが故に、地名が実際の地理的・感覚的なものとそぐわない―相応しくない事象に何度も遭遇した。散歩をしたり不動産を調べていると、害悪とまではいえないが気色悪い違和感によく出くわす。そんなモヤモヤがどうしても落ち着かないため、私的に文献や情報を調べ、AIとも相談し、実際にこの地域に暮らし自分の脚で歩いた感覚で、どこからどこまでが山手で根岸で本牧なのかを考察したいと思う。
不動産資本主義の「山手」:侵食される境界線
そもそも横浜における「山手」とはなんだろう。シンプルに断言すれば、横浜市中区にある幕末から明治にかけて外国人居留地として独自の開発・発展された地域のことを指す。住所としては中区山手町とその周辺を指すのがフラットな理解だろう。
一方で「山手」は、別の捉え方によっては、横浜の一大地域ブランドだといえる。コーヒーで言えば一時期の「エチオピア・イルガチェフェ」や日本米でいう「魚沼産コシヒカリ」に近い。特定の土地に紐づく品質が保証された「地理的表示」のようなものだ。 関西なら芦屋、東京なら成城がそうであるように、その名が冠されるだけで、土地の歴史や文化に空気感までが担保される。山手の場合はそこに「港町・居留地」という独自の文化層が重なる。経済的・文化的な付加価値が積み上がったこの「山手」という呼称は、横浜が誇る無形の財産といえるだろう。
その一方で山手または山手地区というのは実際に人が暮らし生活を営む地理的な場所でもある。
このブランドとしての「山手」と生活の場としての山手または山手地区の境界線は、これが現実の地理的場所であることを超えて社会的・経済的・文化的な活動の場所であるため揺らぎがある。
今回の試みは、そんな氾濫するイメージとしての「山手」に対し、事実としての境界線を打ち込み、実態にそぐわない見栄を張るのもいい加減にしろと釘を刺すこと、もとい虚言ヤロウのチンポを折ることが目的である。
山手・根岸・本牧の境界線について
まずシンプルに根岸と本牧の境界線は根岸駅から間門の三叉路のあたりだと結論づけることができる。資料によるとその昔には、ここに二ツ岩という根岸と本牧の境界があったらしいので、ここで線が引ける。そう、とてもシンプルな話に落ち着くのだ。
しかし、しかしここに「山手」というブランドが入ると話がややこしくなる。資本主義的には仕方がないとはいえ、「山手」と名前がつくだけで価値が上がってしまうから仕方がないと許せる範囲を明らかに超えている物件がある。
なんとこの根岸と本牧の境である―住所的には根岸加増台や池袋という場所には「山手」または「南山手」、あまつさえ旧字体を使って厚かましくも「横濱山手」などと名乗るマンションやアパートがいくつもある。散歩していてびっくりした。これはどうなんだろう。私の独断だけじゃなく、歴史的にも地域的にもここは山手じゃないんじゃないか。一体どこからどこまでが山手なんだと頭がおかしくなる。
特に南山手ってなんだよ!お前、緑ヶ丘は本牧なのに、その南側でしかも傾斜地の坂を下った先にあるお前がなんで山手なんだよ!と叫ばずにはいられない。自分が狂わないために断定したい。どう調べても歩いても、あの辺りは絶対に山手ではないので皆様も気をつけたほうがいい。とくに今は根岸加曽台に戸建てを作っている地域があって、そこがまた山手とか名乗っているけど、そこは住所的にも根岸なので気をつけた方がいい。中区の根岸もある。根岸は磯子区だけじゃない。
特に「南山手」と名乗っているのが意地汚いと思うのは、確かに山手の南であり、山手といっていないため、嘘をついているわけではないところがまた腹が立つ。すべて調べたわけじゃないけど「南山手」と冠する建物がある地域は十中八九が根岸でしょ。いや、山手駅の南側だから詐称には当たらないのは理解できるけどさ!!
文化・イメージの「山手」:ユーミンが引いた線
この「根岸なのに山手」問題、根岸加曽台や旭台あたりは特に難しい。なぜなら、ユーミンという日本における稀代の天才が、根岸旭台にあるドルフィンというお店から見える風景(ソーダ水の中を貨物船が通る根岸湾の風景)を、山手的なロマンティシズムの文脈で再解釈し、意味づけを行った「空間的実践」として、あそこを山手とか歌っちゃったからだ。あれでイメージとしての「山手」の境界線が拡張された。領土侵略を天才はいとも容易くラジオの電波に乗せて実現したんだ。そのため、根岸森林公園の南側は、彼女の歌のようにふんわりとした身軽でそこはかとなく「山手」ですよという顔をしているが、あそこは根岸ですよね。
いや気になって調べていくと、根岸なのに山手って名乗るの多すぎないですか??こんなつもりじゃなかったのに、山手という名前の氾濫が酷すぎる。用法用量を守って正しくお使い下さいと声を大にして言いたい。たとえ嫌われたってうざがられたっていいから。
たしかに根岸森林公園は外国人居留者向けの日本初西洋式競馬場があった場所だし、そこへ至る根岸不動坂は外国人遊歩道が整備されていたりと、開国近代モダン横濱の概念を現実に形成した地域なので、そんなイメージをまとわせたいのは気持ち的にも資本主義的にもわかる。しかし、あそこは根岸ですよね。珍しい、未だに米国の管轄にある第5消防署があったりと、外国人居留地≒横濱≒山手というイメージが色濃く残るけれど、あそこは地理的にも歴史的にも根岸だ。勝手なイメージを不動産資本主義がいいように利用し侵食しているだけで、事実としてあそこは根岸であることは否定しようのない事実だろう。
では、聖光学院はー横浜屈指の進学校であるー山手なのか根岸なのかと問われると、難しいよね。イメージがある。滝之上って明らかに根岸だよなって、この地域を歩いてみると分かる。思いっきり根岸の丘の斜面だ。でも山手駅からの徒歩圏の地域でもある。難しいところですが、わざわざ横濱とか名乗っているブレヴィラ?とかの高級マンションあたりは滝之上あたりでも地理的にも歴史的にも間違いなく根岸だろう。
なによりも根岸競馬場跡地に根岸森林公園より南側の傾斜地であるので、ここを山手というのは無理がある。やっぱり山手って胸を張っては流石に名乗れないのもあり、見栄と虚勢を張る意味でも横濱とかわざわざ旧字体までつかって偽りのイメージで売り出したんだろうか。そういうイメージは都内タワマンのマンションポエムでも可視化されるように、不動産的価値を高めるのに偽りのイメージ作りは必須なんでしょうか。すべて資本主義が悪いね。
さて滝之上は地理的には根岸として、仮に、もし滝之上という住所に対してイメージとしての山手の境界線を引くとしたら、間違いなく聖光学院のある東側が「山手」で、そこから西側は根岸なんだろう。文教地区としのて「山手」というブランドを考えると、聖光学院は「山手」に入れたいという気持ちはわかる。逆に根岸に取られたくない!という感覚なんだろう。
この滝之上の真ん中にある道を挟んで西側が根岸、東側が山手と私的には境界線が引かれたと結論づけたい。その心情としては滝之上の西側にあるマンションは流石に山手と名乗るのは無理があるでしょって私的感覚に由来するので怒る人は怒っていいと思う。山手駅側から歩くとなんとなく分かるから。滝之上Y字路の坂道って境界線っぽいよねと。
(後で調べた結果として横浜市風致地区一覧に記載のある地図を参照すると、その境界線として、滝之上Y字路の坂道が根岸第3種風致地区の境になっていた。そのためこの境界線を挟んで東側は根岸であることが行政的には確定している。私的には大勝利である)
しかしやはりね。山手という地名ではなく、資本主義的な不動産市場としての付加価値のためのブランドとしての「山手」というあるのかないのかわからない概念が資本主義に悪用されることによって山手という地名ブランド使用の氾濫乱用が見られる。根岸加曽台って付いてるのに山手といったり、山手駅からフラットアクセスだから山手なんちゃらと名乗ったり、あれこれって今思うとマンションやアパートの名前ばっかりだな。大きな言葉を使うと、これって虚偽や詐称なんじゃないかと、ちょっと不安にも似た怒りが込み上げてくる。
真犯人はお前だ、山手駅
ここで、この問題をややこしくしている真犯人を指摘したい。いまさらだが、お前だよ根岸線山手駅。
最寄り駅が山手駅であるために「山手」と名乗ることが、不動産の表示に関する公正競争規約上、虚偽や詐称に当たらないとなってしまった。そのために、どこからどこまでが山手で、どこからが根岸で本牧なのか、曖昧な霧の中に包まれてしまった。
そう、今まで私や横浜を愛する全ての人間を困惑の渦の中に巻き込んだこの問題の根幹とは、ブランドとしてのイメージである「山手」と生活実践の場としての山手駅を巧みに操り混ぜ合わせて作られた「山手」にある。不動産市場において最高に旨味のある付加価値を高めるための極上のスパイスとして機能した、二重の「山手」という言葉にある。
本来、横浜市が定める「山手地区都市景観形成ガイドライン」や「都市計画マスタープラン」において、山手の範囲は明確だ。山手町はもとより、諏訪町、北方町、桜道、柏葉通りや麦田町の一部を含むエリアがその定義であり、そこには議論の余地はない。
しかしその一方で、本来の山手(山手町)と山手駅が丘を隔てて離れている隙を突き、不動産市場によるブランドの侵食が始まった。資本主義精神の純粋な発露ともいえるこの動きは、駅周辺や南側のエリアに「山手」や「南山手」の名を冠した物件を増殖させ、付加価値を強引に引き上げてきた。この意図的なブランドの攪乱によって、いまや「山手」の境界は、かつての明確さを失い曖昧に溶け出している。
不動産市場による「山手」ブランドの簒奪によって、混乱が生じている。彼らは境界を曖昧にすることによって付加価値を高めた。結果として人々の認識を混乱させ、山手の境界線を不可視のものへと変質させてしまった。
私はその混沌とした境界に境界石を投じたい
歴史・行政による「境界線」:剥き出しの山手・根岸・本牧
どこからが根岸で山手で本牧かという境界は難しい。が、シンプルに最寄りが根岸駅か山手駅かという視点は理解できる。しかし、山手駅周辺に暮らしている大和町付近の住民のアイデンティティとして「ここは山手ではない」という意識もあり、それを根拠とするのは新しい住民としては居心地がいいだろうが、ネイティブな方々の意識を尊重すると、最寄り駅だけに根拠を求めるのは無理がある。
では、地理的な点ではどうだろうか。本牧・根岸・山手の境として今は無き千代崎川の存在は大きいだろう。シンプルに千代崎川の北側が山手、その南西が根岸で南東が本牧とすればとても明瞭だ。
これは根拠のない線引きではない。旧千代崎の流れから読み取れるように、横浜市中区の地勢として、現在の柏葉通りを境に北側が山手台地であり、そこから南側の丘陵地帯が根岸台地となる。歩くと明瞭なのだが、石川町からの坂道とくに打越坂を登り、その昔は市電の終着駅であった山元町停留所に至ると、この辺りを境に丘陵地帯が分かれているのが分かる。
このあたりを境に平楽と唐沢の丘があり西側と南側に流れていた猿田川、簑沢川、江吾田川の3本の川が(山元町二丁目のローソンあたり)合流して千代崎川となり、いまの柏葉道り付近から麦田町~千代崎町を通って本牧通りから小港へ流れていた。
詳しくは以下の地図が明瞭である

参照サイト:https://tiyozakirekisi.wordpress.com/%e5%8d%83%e4%bb%a3%e5%b4%8e%e5%b7%9d%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2-2/
この地理的な事実を基にすると、千代崎川が流れていた北側の山手台地が地理的な山手であり、その南側が根岸と本牧という、明確で地に足のついた線引きができるだろう。
横浜といえば丘陵地帯と埋立地というのが私の感覚だが、この感覚は過去の人々の暮らしや境を意識させるのに役に立つ。たとえば、根岸と本牧の地理的な境としては、本牧から山手隧道あたりを歩いていると、大和町や立野という傾斜地と谷戸に出くわす。特に立野はその昔は根岸村と本牧(北方村)の入会地であったという記録があり、麦田町は根岸村であったことから、大和町をかつて流れていた川と立野の丘が本牧と根岸の境になるのだろう。
そしてそこから現在の根岸線が通っている谷戸を境にして、たとえば本牧緑ヶ丘と、YC&AC(日本最初のクリケット試合が開催されたスポーツクラブ)のある矢口台の窪地あたりが根岸と本牧の境になると、地理的にも歩いてみた感覚としても納得ができる。古い地図(大正調査番地入 横浜市全図)を読むと、長久保と記載のある地域の南北に池が確認できるため、緑ヶ丘高校とYCACを挟んだ今でこそ住所は緑ヶ丘の窪地あたりを境にしていたと想像できる。現在だとYC&AC通りを境にすると分かりやすい。
しかし、厳密に境界を引こうとすると矛盾に突き当たる。山手の外国人居留地を支えた牧場があった鷺山や竹之丸、そして「山手」のイメージを象徴するYC&AC(矢口台)までもが、歴史的にも地理的には根岸に飲み込まれてしまうのだ。YC&ACは山手でないとしても本牧っぽい雰囲気だ。ここが本牧じゃないとは本牧に暮らした私の感覚としても相反するのだが、それはただのイメージ選考による錯誤である。
ここで私たちは奇妙な、しかし重大な事実に気づく。我々が「山手らしい」と信じて疑わなかった風景の実体は、その一部は根岸の地にあったということだ。ユーミンの歌が描き出したあの情景も含め、「山手」というイメージの供給源の一部は根岸であった。ドルフィンのソーダ水越しに見る景色さえも、地図の上では根岸なのだ。
視点を変えれば、地理的な根岸は「山手」というブランドイメージに侵略された。千葉の臨海部が東京に侵食され、ららぽーと船橋ショッピングセンターがいつの間にか「ららぽーとTOKYO-BAY」と名前が変えられて、資本主義的価値の前に千葉の尊厳は容易く踏みにじられてしまったように。千葉のなかの東京のように、本来の地名の上に「山手」という仮面を根岸は押し付けられている。不動産的な付加価値向上という錦の御旗のもとに、戦後に根岸線が通り、この地に暮らし始めた人々のステータスや虚栄心を潤す装置として、山手というブランドは喜んで迎えられ、山手ブランドへの帰属意識と共鳴し、根岸に深く根を張ったのだ。
まとめ:境界線を引いたら、根岸を再発見した
さて、このまま曖昧なままに私の考えを垂れ流すのではなく、書面も限られることだから強引にでも一旦ちゃんと私なりの線引きを、結論を出したい。
ひとつの妥協点として、横浜行政が規定している境を参考にした。お上の権威を利用するのは卑怯だと思うのだが、一定の妥当性のある結論のための根拠としては、これ以上の権威付けはない。
横浜市都市計画マスタープラン中区プランを参考にすると、中区における山手地区と根岸・本牧地区がどこなのか明確になる。

「横浜市都市計画マスタープラン・中区プラン―中区まちづくり方針」より転載
上の地図を見ると、山手町とその周辺の南側の平地を千代崎川が流れていたあたりを境に、山手と根岸・本牧で分かれている。いわゆる風致地区としての山手より多少広い範囲ではあるが、地理的な感覚としても、今までの考察を経て私的には大変納得できる境界線である。そして、「山手駅」は明確に「根岸本牧地区」にあるのだ。
やはり不動産市場的な意味での山手との乖離を感じざるを得ないが、大まかにいえば山手地区と本牧根岸地区は千代崎川を境としているのが分かる、現在の根岸道路ー麦田ケアプラザを含めたあたりを境に、北側の丘陵地帯からに小港の交差点あたりまでが山手となる。西側は打越坂の南区と中区の堺あたりまでが山手地区の範囲となる。
前述の通り本牧と根岸の堺は歴史的にも二ツ岩であり、南の丘陵地帯側はYC & AC通りがある矢口台と緑ヶ丘が歴史的にも歩いてみた感覚としても、根岸と本牧の境界線と結論付けられる。
こうして境界線が明確になると、根岸という地区は歴史的に「外国人居留地としての横浜」の核心を担ってきた事実が浮かび上がる。本牧は80年代に返還されたが、根岸住宅地は2000年以降まで待つ必要があった。南区で育った私にとって、異国情緒の象徴は山手や本牧であったが、その影で根岸こそが、競馬場や遊歩道にYC&AC、そして広大な根岸住宅地区を通じて、幕末から平成に至るまで「外国」を地で生きてきた場所だ。そこが今では「山手」というブランドに侵食されている。
しかし、こうした歴史的実体は不動産ポエムという資本主義的な付加価値の論理によって書き換えられていった。ユーミンの歌のように、居心地のいい横濱山手というイメージが、不動産市場の言葉によって増幅され、隣接する根岸の土地を侵食している。
ポエムの皮を被った曖昧で不明瞭でなんとなくよさそうなイメージは、ふんわりとして耳障りのよい言葉を使い資本主義的な付加価値のため土地を侵食する。
そして浸食される側も、それを喜んで受け入れるものもいれば、根岸というアイデンティティの喪失による居心地の悪さを感じている。そんな地域アイデンティティと資本主義的価値による浸食を痛いほど身を持って体感できるのが山手と根岸・本牧地区付近の醍醐味かもしれない。
山手というブランドによって根岸や本牧地区の不動産的な市場価値を向上させることに多大なる恩恵を与えていることは間違いない。横浜でさへ、「山手」というブランド・イメージを身に纏うことによって、その価値を維持している。
その一方で、見栄っ張りな「山手」ブランドへの過度な依存によって、長期的には「山手」自体の価値を貶め、またその実際の地域である根岸や本牧に暮らす人々のアイデンティティとブライドを毀損することに繋がるのではないかと不安に思う。
特に、これから再開発が始まると期待したい根岸住宅地区においては、いたずらに「山手」というブランドに依存することなく、新しい根岸という価値とアイデンティティが再発見されることを願ってやまない。あと本牧の再発見も進まないかな。いい街なのに
根岸の再発見
これは思ってもみないことだった。本牧に暮らして山手を疑問に思うことによって横浜における根岸の再発見につながった。これまで見てきたように、根岸は横浜というイメージを形成する幕末・明治期の外国人居住地と戦後米軍接収地域という現実を大きく負担・構成した地域であった。ただイメージとして根岸には「山手」のようなポジティブなものは、ない。根岸が「横浜」とか「山手」といったブランド価値があるかというと、本当に申し訳ない気持ちになるが、全くない。
そう、横浜の南区で生まれ育った私は根岸のポテンシャルに気づいていなかった。ただこれは私に限った話ではないだろう。これまで、さんざんと不動産的・資本主義的価値観による土地アイデンティティに対する侵食を毛嫌いし非難してきた私であるが、この事実は価値がある。特に米軍根岸住宅地区跡地の再開発では、このイメージをポジティブに利用できないものかと考えずにはいられない。全ては、横浜の価値向上のためとなれば、雨の中の涙のように水に流せる。
現時点における根岸住宅地区の再開発計画に目を向けると、住宅の広大な跡地をそのままにし、歴史を理解し公園として使うとかなんとか書かれているが上手くいくことを願う。電車の駅が望まれる。あの坂道はきついから。
