インターネットでのアイデンティティをまごつかせて

第二の思春期を終えたオジサンが、何故私は働くのか私の生きている意味はなんなのかについて思春期のように省察するブログです。

『パーティーが終わって、中年が始まる』を読んだ私的感想

 TwitterでPhaさんとは長いこと1ホップの範囲にいながらフォローはしておらず直接の繋がりは全くなく、また今まで本も読んだことがなかったのだけど『パーティーが終わって、中年が始まる』という本の帯が中年の危機っぽいことを書いていたので、おぉ!!職業:ニートの人でさへ中年になると危機感を覚えるんだ!と参考まで買って読んでみた。
 全体を通しての感想を述べると、働きたくない×中年・オジサンであっても、悩みの内容はこんなにも違うんだと気づけたことは多い。そして、まったく違う人生を歩んでいて、あんなにも働きたくなかった人でさへ、中年の危機的なものを抱え、加齢により考え方や感じ方が変わってしまうんだという点に、この本の私にとっての価値はそこだった。
 共通する点としては、昔みたいに楽しめない・欲望や意欲が湧かない―加齢による衰えのためか、昔みたいに喜びを感じなくなってしまったことへの戸惑い、焦り、悲しみだろうか。ただ、Phaさんの、この本の内容としては、過去への懐かしみノスタルジー、失われてしまったことへの愛情と感傷が色濃かった。全体を通して喪失感の本であった。具体的な内容に触れないが、彼の悩みや感傷について私とは全く異なるものだった。特に輝いていた昔を懐かしむ哀惜の念と、衰退を楽しむという視点は私になかったものだ。働きたくない人同士であっても、こんなにも違うんだなと素直に自分の現状を今書いている日記について価値を見出せるかもしれません。

 世の中にはSNSを通して今までに見たことのない数の本音が溢れていて、そんな中で心に響く本音はラジオだけだったかもしれないけれど、こんなに情報が溢れかえっている時代であっても、オジサンの弱音って、オジサンになってしまった人の本音や生態って意外と見つからないもので、こんな私のような悩みや焦燥感を感じているオジサンもいるんだよって、なにか参考になればいいなと、いま日記を書いています。

この私の日記を、どうやって出していこうかで悩んでいる。ブログで投稿していくか。日記として淡々とためていくか。