インターネットでのアイデンティティをまごつかせて

第二の思春期を終えたオジサンが、何故私は働くのか私の生きている意味はなんなのかについて思春期のように省察するブログです。

身体化された労働者

コロナ禍で3年と数か月にわたってフルリモート勤務している状態から
突然、週に何度かは出社が義務という方針に私が務める会社も追随した。
本当に弊社は大きい流れへ金魚の糞のように模倣することが哲学なんだなと呆れてしまう。

オフィスに従業員を戻すのはナンセンス、これからはリモートで生産性を上げる時代だとか。
フルリモート勤務を保証するとか何度も言ってきたくせに、そんなことなかったかのように手の平を返した弊社経営陣への不信感はどんどん膨れ上がっているのだが
その一方で、こうしてグチグチと言いつつ思いつつも、あーー出社する準備しないとなと
サイズが合わなくなり出社するには足りなくなったシャツや革靴を新調しはじめたり、新しい環境にひつようなツールの導入準備をしたり
生活スタイル・時間の変更も必要なので、そのための新しい役割分担やタイムスケジュールについて考えたりワイフと話し合ったりしている。

私は社畜ということはないし、てきとーに労働者をやっているという自意識だったが
口では嫌だ嫌だと言いつつも身体は新しい労働環境のため動いて準備してしまっている。
結局動いてしまっているほうが効率的だし後々楽だからというのもあるけど、労働のために私の生活を変えるということに驚くほど抵抗もなく粛々と準備を進めていることに、ふと気づいてしまって、そしてそれにそこまで落胆や驚きがないことに、なにか虚しさを感じた。
労働者としての自分が身体化されてしまった。肌になじんでしまったんだなと
まー仕方ないかと会社への道を行進するしかない。

いや、やっぱりムカつくよな。特に名言もせず当然のこととしてライフスタイルの変更を強制されるのは苛立たしい。
ただ、こうして苛立たせて追加の退職金を払うことなく辞めさせるのも一つの会社としての手段なんだろうと分かるので腹が立つわ。