インターネットでのアイデンティティをまごつかせて

第二の思春期を終えたオジサンが、何故私は働くのか私の生きている意味はなんなのかについて思春期のように省察するブログです。

うそ!?これって第二の思春期(中年の危機)?~中略~...その3:どーみても危機じゃなかった

中年の危機と呼ばれるような状態だったが、一人旅して自分を再発見したら治まった。
私と似たような状態に陥るかもしれない他のオジサンたちのためにも、メモを残しておく

  • 中年の危機とはなにか、

私も自分に訪れたこの何とも言えない不安感、客観的にみてどこに不安や欠乏があるのかという状態なのに、
この感覚はなんなのだろうと色々と考え探していたところ、いわゆる中年の危機というものに近いことがわかった。

中年の危機とは端的にいってしまえば、人生の転換点のひとつである。
様々な変化にともなうアイデンティティの再編・再構築、またアイデンティティの更新・変化にともなう不安感や欠乏感といったものだ。

「私の問題」としては、上記の定義がしっくりくる。つまり、私は人生の転換点を迎えていると私自身理解した。その理解によって合点がいき、なんとなく胸にあった夏の霧のような不安感は打ち払われた。(だいぶ端折っているけど、オジサンの心境のあれこれを書いても仕方がないだろう)

  • なぜ中年の危機が訪れたのかについて

一つにはTwitterをやめたことだろう。15年程度ずっと同じひとつのアイコンでIDでTwitterに毎日いた。
インターネットの故郷として、自分の居場所として生きてきたのを突然やめたのだ。故郷を捨て自由で気ままに不安定な存在になったのは間違いなく原因のひとつだろう。
次に仕事の変化も恐らくある。今年に入って社内転職をして今までの仕事からの延長ではあるが、役割が一つ二つ上の責任を伴うものに変化したのも、どうしようもなく原因になるだろう。また、それに伴って働き始めたころの労働者としてのひとつの目標を達成してしまったこともあるのだろう。

夢というものが夢に終わって、いくつか持っていた目標は達成してしまったことによる欠乏感と、これからどうしたらいいのか分からないことによる不安感と、私はなにものなのか/だったのかというアイデンティティの揺らぎ
これらが複合的に起因して、いわゆる中年の危機と呼ばれる状態に陥ったようである。春から夏にかけての間だったのは、偶然だろうか。

ただ私的体験としては、そこまで危機という感覚はなかった。躁鬱抑鬱的な兆候もなく、カウンセリングが必要な落ち込みといったものも一切なかった。
ブログで以前書いたように、自分とは何者であったか?誰なのか、どういう人間なのか。が眩暈のように一瞬分からなくなったくらいである。
https://sebastianus.hatenablog.com/entry/2023/07/09/213054

これに関しては既に答えは出ているが、未来に対しての答えなんか出切るはずもなく。単純にこれから再構築し、残りの余生を生き抜くだけである。これから私はどうやって生きていくのかという途方もないことを考え、ちょっと目をまわしてしまったらしい。
https://sebastianus.hatenablog.com/entry/2023/07/23/180941


  • どうやって抜け出したのか

私の場合は、こうしてブログを書いて自分と対話を重ね、自分の好きなように縛られない一人旅をして、そこで自分と対話し思い出す・再発見したことによって問題でなかったような問題だったものとして、私の中で軽くなった。

表に出してこそいないけど、自分との対話を数週間かけて数万字程度のメモとして対話した。
日常から離れた、ただ自分が好きなもののためだけの旅をしたのもよかった。日常とワイフから切り離された旅に身を置くことによって、随分と素直に自分との対話を進めることができた。

一人旅とブログは心身の健康にいい。
あとBlueskyを第一言語である日本語ではなく英語に限定しているのも功を奏している。いたずらに自分の考えを吐き出すだけのTwitterと同じ運用にせず、ブログという形としてまとめることにしたのは賢い選択だった。

なんというか、分かっていたことだけれど私は凡庸で適応力がありタフらしい。と認めなければならない。