インターネットでのアイデンティティをまごつかせて

第二の思春期を終えたオジサンが、何故私は働くのか私の生きている意味はなんなのかについて思春期のように省察するブログです。

サラリーマンになれない・なりたくないと思っていた哲学青年が10年働いて仕事したくないだけのオジサンになった

働いて専業労働者になって10年が経っていた。まじか、と思ったので殴り書きする。
11年前の無職で死にたくなっていた俺よ、大丈夫いまじゃ立派なビジネスパーソンだよ。仕事なんて転がり落ちて流れに乗ればいいんだよ。

しかし、いや、まだ10年しか働いていないのかと思う、正直仕事は飽きた。もう十分働いたよ。
仕事での、やり甲斐とか達成感とかリスペクトとか侮蔑とかこいつ使えねーなといった視線とか大失敗して赤っ恥格とか社内表彰されるとかメディアに乗るとか海外出張とか審査機関から電話かかってくるほど年収が一気に上がった時の脳汁のヤバさとか転職活動とか糞みたいなマネージャーを引きずり落とすとか一番下っ端からチームの主力になって社内転職してまた一番下に転がり落ちてペチャンコになるとか馬鹿にしたやるぶっ殺すとか逆にペチャンコにするとかプライドをズタズダにされるとか嫌味言われた奴に復讐してボコボコにするとか、いろいろ味わったけど仕事は楽しくない。本当に楽しくないんだ全然やりがいとか感じない面白くない嫌だ働きたくない可能な限り働きたくない。いやーーー本当に労働は悪だよ。アナーキストに私はなりたいなれないお金があって安定した生活を捨てられない無職でなにもなく明日死ぬか働くかで動けなくなって泣いたりはいたり屋上に登った夜を経験しているので無職になるのがお金がないのが怖くてたまらない。怖いものには立ち向かうか逃げるしかないので労働者になってお金を出来る限り楽して沢山手に入れる意外の目的がない。これはTwitterでも働き始めたくらいから言っていることだけど、10年働いて千代田区外資系ITリーマンになって社内でもそこそこなれてきた今でも、労働に楽しみも喜びも見いだせない。噓偽りなく仕事とかどーーでもいい、仕事で成功してもミジンコほど程度にしかもうれしくない、どーでもいいとおもっている。
100均に売っているパズルがあるでしょ。あんなパズルでも完成させたら達成感みたいなのを得られるように、仕事で課題や問題があって乗り越えたり解決すれば、そりゃ達成感はあるけど、パズルとかスマホゲーの達成感と同じ。違うのは年収が上がった瞬間にでる脳汁、これでまた生活に余裕が出る安心できると思えた時が一番嬉しいかもしれない。手元にあって自由に使えるお金が増えるだけしか労働に価値を見出せない。それでいいと思っている。食べるために働くのだから、それ以外は余計なものだと割り切れているのは精神衛生上悪くないんだと思う。まじめにできないのが功を奏しているんだろう。
あとはこの前にも書いたけど可能な限り楽したいから安定したいのでそのための努力はするけどあとまだ少なくても20年以上は下手すると30年働くとか信じられない出来ちゃうのだろうと思う私はなんというか人に合わせて一般人になる才能というかタフさというか要領のよさはあったみたいだけど働きたくない、けど働けてしまう。なんだかんだ仕事はこなせて出来てしまうからできるからやる以外にない。生きていくためにご飯と住まいと衣服と本とかワイフのために心と体を壊さない程度にこなす以外にはない。(なにもしないとヤバい、ヤバいと思ったら勉強するしないと死ぬくらいにやばい状態になるという経験が何度かあるので勉強するという習慣が恐怖によってインストールされているので生き残れているというのはあるかもしれない。)
本当に仕事に対してお金以外の価値を見出せない。いいとかわるいとかじゃなく、お金があったら絶対に働かない。珈琲豆焙煎してカレー作って鮨食べて登山して南の島でのんびりして過ごしたい。

本当に働きたくない。仕事で成功してもなんにもうれしくない喜べないお金手に入るだけしかない。こんなに働きたくないやつが時間も身体も拘束されて働いているんだからせめてお金は沢山欲しいだけだ。本当に出来る限り働きたくない。これはカッコつけでも斜に構えるでも逆張りでもなんでもなく心からの叫びだ