インターネットでのアイデンティティをまごつかせて

第二の思春期を終えたオジサンが、何故私は働くのか私の生きている意味はなんなのかについて思春期のように省察するブログです。

インターネットでのアイデンティティをまごつかせろ!!

Twitterをやめて4-5ヶ月くらいが経過しました。本当にTwitterはやめてよかったと思います。
その一方で最近Blueskyの招待コードを頂ける機会があったのでー本当はもっとはやく触れてみたかったけど、招待コードほしいってガツガツ求めるのは自分としては格好悪いというか、ほら、ガツガツしている男って嫌われるというかキモいじゃないですが、だから別にいらないけどみたいなスタンスでいましたーアカウントを作成してはじめてみたのですが、Blueskyも危険なインターネットでした。

なにが危険なのか、あまりにも15年前くらいのTwitterに似ているからです。つまり楽しい。このインターネット沼にはまってしまいそうだなと、インターネット経験豊富なオジサンは直ぐに理解りました。
このままでは危険だ。ダメだ。そう思った際に大切なのは瞬発力と方向性を決めること、一定の枠を設けることです。そうして初期衝動をコントロールすることです。自由すぎると私はのべつまくなしに楽しんで収拾がつかなくなる傾向があります。それは今の私が望むところではなかったです。それでどうしたか。私はいくつかのルールを自分に科しました。

  1. 日本語ではなく英語でPostする
  2. 自分の考えや日記を1日1回から数回程度にする

これだけでBlueskyをやりたくて仕方がなかった、”ねむい”、"だるい"、”寿司食べたい”みたいなどーでもいいPostを並べたり好きな音楽を紹介したい初期衝動を抑え滞在時間を短くすることに今のところ成功していますー数日程度ですが、総Post数が10なのは本当に私自身にとっては驚くべきことです。オジサンというインターネット経験を活かすことができました。随分とうまく立ち回れるよう小賢しくなったものです。

あとは、どういったアイデンティティでアカウントを運用していこうかなとまごつかせているだけですね。
インターネットではアイコンを惣流・アスカ・ラングレーで貫き通していたのですが、Blueskyではやめました。IDこそ同じなのですが、今までのインターネットからの決別を自分の中でしたいのだと思います。だけどリアルでもインターネットでも、あまり飾ることができず私は私でもあるので同じような立ち振る舞いにはなるんだなと。無理しようか自然でいようかまごまごしています。積極的に自らアイデンティティをまごつかせているんですね。今書いていて気づきました。

Blueskyは居心地がとても自分にとってはいいのですが、残念ながら良くも悪くも思考・志向の方向性や雰囲気は偏っているのは楽でいいんですが、こういった快適さは同質性の高さに拠るものなので、私は嫌いです。楽しいのですが、同じような意見が共鳴していく空間はインターネットでの私という人間にってはあまり喜ばしいことではないので、どうしようかなーとアカウント運営に悩んでいます。