インターネットでのアイデンティティをまごつかせて

第二の思春期を終えたオジサンが、何故私は働くのか私の生きている意味はなんなのかについて思春期のように省察するブログです。

シン・エヴァンゲリオンの―14歳でair/まごころを君にを劇場で観たオジサンの―感想 ※ネタバレあります

「だーれだ♡」
「胸の大きい、いい女」

シン・エヴァンゲリオン観てきました。
多くの方が、各々の感想を書かれていることかと思います。称賛する方もいれば、罵倒する馬鹿にする色々な反応があるかと思います。
ですが私は、ただ反応ではなく、自分自身の感想をここで述べたい。私のことなので支離滅裂なまとまりのない吐露になるでしょうが。他の誰でもない私のために書き残したいと思います。なるべく全体ではなく、シン・エヴァンゲリオンを観た感想にとどめたく。

こうならざるをえなかったのかな。
こうなってしまったんだから、もう、そうだったんだろうな。というのが嘘偽りのない感想です。
数日前に、もしかしたらという妄想から書いた感想があって、そこに大体のことは既に書いていてしまっていたので、
それは心から残念なのですけど、もうこれ以上いうこともない。

いや、私の想像以上で脱力してしまったといった方が正しいかもしれません。虚脱感といって差し支えないものが心身に漂っています。
吐き気をもよおすほど気持ちの悪い何かというものもなく、ただ思っていた以上に優しく愛に満ちピースフルでアーシーで柔らかい心がぽかぽかするお粥がありました。
お粥って美味しいですよね。体も心も弱っている方でも消化できますし、でもお粥が食べたかったわけじゃないという悔しさを感じた方には同情を禁じえません。

最低最悪の駄作を観せられた、そう憤った反応をしてしまう方もいるでしょう。分かります。まー全体的におしゃべりだったと思います。そこに尽きます。
ただ最低最悪だ!と唾棄すべきほどのものがあったとは、私には思えません。それほどのものでもなかったといった方が正しいでしょうか。
もっとなんというか、生煮えの米というか煮えすぎた重湯というか病人食というものが出てきたな、出されてしまったなと。俺もう仕事して結婚してローンまで組んじゃってるんだけどな。

トウジとか委員長とか、ミサトさん加持リョウジとか、なんでそこまでベタベタなことする?加持リョウジ×渚カヲルここでだす?とか、そんな設定絶対後付でしょ!とか、もう一つ一つあげたらきりがないので控えます。ネルフVSヴィレ?とか色々いうこともできるでしょうが、もう、そんな力もでないです。
160分もいらないでしょ、いらないセリフにいらないシーンばっかりだったでしょ!とか色々あります。けどまー。

他の方々も思っているでしょうが、なんであんな1から百まで全部説明しちゃう脚本にしたのか作品にしたのかというのは、本当になにがあったのかと思います。
あそこまで会話というか対話のプロセスを踏むというのはリアリティではなくカウンセリングを延々と続けていったみたいに私には映りました。あれこそ夢の中にいるみたいなのは今も昔もかわらないエヴァンゲリオンでしたね。
ただエヴァは良くも悪くも分かり合えない他者との物語を、それでもどうしようもない他者がいても生きていくんだというメッセージがあったのかと私には受け取れて、
ただシン・エヴァンゲリオンはここも良くも悪くも今までのエヴァとは違って、語り合って分かり合って丸く収まっているのです。
思いを伝えるのは大切、でも、その思いは受けっとてもらえないこともある。でも仕方がない、他者は自分とは違うんだ。他者のことは分からない、自分のことは誰かにわかってもらえないわかってもらえないかもしれない。そんな他者がいやなら人類補完して一つになっちゃえばいいというエゴに対して、嫌だと。分かりあえなくても他者がいることを選んだ物語というのが私は好きでした。

シン・エヴァンゲリオンはQと正反対でもあるのですが、その一点は本当にまた格別に逆方向に気持ち悪いのですが、
分かり合えない他者がいなかった。みんな丁寧に愛をリスペクトをもち、分かり合っていた。ゲンドウも冬月もサクラも綾波レイも。
最後、同じことを描いても仕方がないということなのか、以前とは異なり分かり合えた/分かり合えるという、許そう愛そうという物語になっていたかな。
まー私としてはクソッタレ、そんなのわざわざエヴァに言われるまでもないんだよ。というか何年たってどの口が分かり合える喜びを語るんだという思いもあるのですが、
それで今回は終わりとしたのでしょう。だったらもう何も言えることはないじゃないですか。「よかったね。おめでとう」以外にありますか。

最後のとか、終わりとか公式では言っているし、観たあとにTwitterみると成熟とか細田守とか成長とか言っている方がいて、まーわかるのだけど
なんというか、そんな大層な代物ではない。
そうではなく、治療の過程が描かれていた。自然に優しい他者に触れ感情を取り戻し少しずつご飯が食べられるようになり自分の気持を言えるようになるまで、
過去の自分や今の自分や親と向き合えるようになるまでの治療の回復の過程が描かれていた。
だから、なんというか私は攻撃的な感情的な反応ができない。そして、なんともいえない脱力感に晒されています。
悪意とかそういうものもなく、ナチュラルに脱色されていたなー
また終わりという点では、もう既にair/まごころを君にで終わっていたじゃないですか。
もうエヴァンゲリオンはつくらんといてくださいよ庵野監督。庵野監督はもうエヴァンゲリオンから開放されていい、本当に苦しかったんだな。もうああするしか、なかったのかと思うことにしました。なにか感情をぶつけることもできず、この高まった思いを振り上げた拳をどうしたらいいのか分からない。
本当にどうして新劇場版なんてバカなことをしてしまったのか。生活とかのためだったのかな。色々と背景は聞いてますが、仕事何してんのとか他人や自分に言われて苦しかったのかな。まーこれで庵野監督はエヴァンゲリオンとお別れできたので、それは本当によかったと思えます。もう1997年で終わりにしていたら本当によかったんですよ。ほんとにバカね。

式波・アスカ・ラングレーちゃんについては、実は観に行くまえにケンスケと式波・アスカ・ラングレーが付き合っているというネタバレを読んでしまい
大変な感情が爆発してしまいました。その時の感情は以下にそのまま記載しておきます。*1
ただ、観たあとではなんといいますか。式波・アスカ・ラングレーちゃん、よかったね。という思いがあります。シンジ君とアスカはお互い思い合っていたこともあったけど、大人になって別の自分を大切にしてくれる人と一緒になったんだね。という思いです。シンジとメガネ女がくっついたのは、他の方々正直いくらなんでもとってつけたような感じですが、あー少女漫画でこういう大団円観たな―と思って、あーという感じです。いや鈴原サクラちゃんとくっつけよ!!!!!
惣流・アスカ・ラングレーについては、本当に誰ともくっついてほしくない。色々な男とセックスしたり恋をしたり子供を作ってもいいけど、誰ともくっつかないでくれという願いがありました。これはもうここで私も吐露しておきましょう。他の誰ともアスカはくっついてほしくなかったです。エヴァが終わったおかげで、それが叶った。
式波・アスカ・ラングレーと和解して、フィギュアも買ったのですが、それを売ってしまおうかと観る前はおもっていましたが、あんな真っ直ぐな気持ちを言葉で言われてしまったら、あの子はうちの子だなって、私は式波・アスカ・ラングレーも愛していくことを決めました。そして二人の門出を祝福します。
最後のシーンで式波・アスカ・ラングレー山下しゅんやデザインっぽいボン・キュッ・ボンアスカになってたのはエヴァの呪縛が解けて体が心に追いついたんだと思うんですが、セクシー式波・アスカ・ラングレーちゃんもセクシーでよかったですね!ケンスケがうらやましーなー。
そうそう唯一この映画で良かった点はシンジとアスカが対等な関係に戻っていたことです。対等になり、ちゃんとお互いお別れができた。過去の精算というか、お互い色々とあった感情を「あんたのこと好きだったんだとおもう」「好きっていってくれてありがとう」と二人のあやふやな関係に対して終わりにできた、そこを描いていたシーンだけはよかったです。そこだけは本当によかった。式波・アスカ・ラングレーちゃん、本当によかったね。しあわせにね。

*1:ネタばれを踏んでしまい衝撃を受けています。 なんというか公式が殺しに来たな。うん、殺しに来たんならこちらも殺してやる。絶対に殺してやるという気持ちが一瞬吹き上がりました。こわいですね。でも、一瞬ですが、そのネタバレという事実を目にした瞬間に動悸が激しく胸が苦しく指先が冷たくピリピリとし瞳孔が開き意識が一点に集中していく、殺してやるという意識に染まってしまったという事実を書き残しておきます。 冗談とかネタに聞こえてしまうだろうことも分かるのですが、本当に殺してやると思った自分がいて、そのことに自分も驚きつつも、冷静に庵野監督を殺してやると思っていた自分がいました。なんというか冷静なんです。 それは直接、今の私が思っている。ダメージを受けているというのではなくて、隣の自分が、そうであったかもしれない自分というか、もしかしたら中学生の頃の残っていた自分が、そう思っているのかな。それほどの一撃をくらってしまったのかと思います。隣の誰か、隣の自分が、もうその一点に感情が収縮してしまっているのを、今の自分が、こえーなーこんな自分がいたんだなと見つめている感覚でしょうか。 今の私には、あーーそういうくだらないこと、というか安直で安易でしょぼいことする作品だったのか、残念だなという落胆、微妙な生煮えの気持ちがあるのです。煮え切らない燃えきれない思い出というのか、小学生の時に好きだった女の子が高校生になってバイト先で妊娠し高校中退し結婚したのを聞いた時のような気持ちです。そんな衝撃でもないんですけど、なんとも言い切れない残念だ無念さ的な気持ちとしておきます。 本当に中学生の頃に、この展開をアスカが他の誰かとくっついたという映像を事象を見せられなくてよかったと思います。そのときに見せられてたら、あの当時、私や他の誰かが確実に殺害予告や爆破予告や実際に言葉にするのはあれですが凶行に走っていてもなんら不思議ではないです。それくらいの殺意というものを感じましたし、一瞬私もそういった感情が吹き上がる自分が自分の中にいるのを感じました。本当に惣流・アスカ・ラングレーでそれをやってくれなくて本当によかったと思います。他の人はどうか分からないのですが、私の中では彼女と彼女は同じ容姿をした別人と割り切れていたので、この程度で済んだのでしょう。 いやー、もう本当に酷い流れというか筋が悪いというか、とってつけたかのように鑑賞者やファンに対して明確な殺意をもって雑に殺しに来ていますよね。。